水墨画の散点透視 王俊宇瀟
ルネーサンス以降、西洋絵画に於いては焦点透視と言う極めて科学的方法が確立され、この透視法を以て作品を構成するのが鉄則とも言えるべきではなかろうか。
この鉄則を打ち破って、西洋絵画史に強烈な新風を吹き込み、人々に衝撃を与えたのはピカソをはじめとするキュビズムである。今まで一つ固定した視点から対象物を描写して来たが、キュビズムの作品は幾つもの角度から対象物を観察し、そして複数のパーツに分解し、分解したパーツを二次元の画面に再構成するという革新的な発想と手法で作品を制作する。後の抽象絵画などにも多大な影響を与えたと云われている。
ところが、そのキュビズムと似た考え方は、水墨画を代表とした東洋の絵画作品に遠く昔から存在していた。所謂『散点透視』である。要するに焦点が一つではなく複数に散らばる、又、焦点は固定しているでもなく、移り変わる事も可能である。
例えば、崖から下の渓谷を臨む作品がある、渓谷に流れる激流やその激流と奮闘する小舟なども有るとする。この場合、当然作者が俯瞰している筈である、ところで、遠くにある遠景の山の頂上に、家屋が見えるではないか、しかも、その家屋の屋根まで見えているではないだろうか?!俯瞰していた作者は、いつの間にか仰視に視角を変えていた、しかも、視角を変えただけではなく、作者が鳥の様に空中に舞い上がり、上空から遠景の家屋の屋根を見下ろし、視点まで変えていた。
本来なら誠に不思議な光景のになる筈だが、この様な作品を見慣れていた我々東洋人は全く違和感を感じず、視角や視点が移り変わった事自体に気づかない人はほとんどだろう。このような見方と方法で自然の世界を表現するのは当たり前と考えたのであろう。
東洋独特の絵画様式『巻物』も散点透視なしては成り立たないである。『巻物』は壁に掲げて鑑賞する物ではなく、手に取って、目の前で解きながらじっくり鑑賞する物である。解きながら、物語や景色が広がって行く、当然作者も鑑賞者も、巻物の広がりに引っ張られ、視点視角が移り変わって行く。
焦点透視ではあり得ない光景を水墨画が『散点透視』のお蔭でいとも簡単に表現出来た。
この鉄則を打ち破って、西洋絵画史に強烈な新風を吹き込み、人々に衝撃を与えたのはピカソをはじめとするキュビズムである。今まで一つ固定した視点から対象物を描写して来たが、キュビズムの作品は幾つもの角度から対象物を観察し、そして複数のパーツに分解し、分解したパーツを二次元の画面に再構成するという革新的な発想と手法で作品を制作する。後の抽象絵画などにも多大な影響を与えたと云われている。
ところが、そのキュビズムと似た考え方は、水墨画を代表とした東洋の絵画作品に遠く昔から存在していた。所謂『散点透視』である。要するに焦点が一つではなく複数に散らばる、又、焦点は固定しているでもなく、移り変わる事も可能である。
例えば、崖から下の渓谷を臨む作品がある、渓谷に流れる激流やその激流と奮闘する小舟なども有るとする。この場合、当然作者が俯瞰している筈である、ところで、遠くにある遠景の山の頂上に、家屋が見えるではないか、しかも、その家屋の屋根まで見えているではないだろうか?!俯瞰していた作者は、いつの間にか仰視に視角を変えていた、しかも、視角を変えただけではなく、作者が鳥の様に空中に舞い上がり、上空から遠景の家屋の屋根を見下ろし、視点まで変えていた。
本来なら誠に不思議な光景のになる筈だが、この様な作品を見慣れていた我々東洋人は全く違和感を感じず、視角や視点が移り変わった事自体に気づかない人はほとんどだろう。このような見方と方法で自然の世界を表現するのは当たり前と考えたのであろう。
東洋独特の絵画様式『巻物』も散点透視なしては成り立たないである。『巻物』は壁に掲げて鑑賞する物ではなく、手に取って、目の前で解きながらじっくり鑑賞する物である。解きながら、物語や景色が広がって行く、当然作者も鑑賞者も、巻物の広がりに引っ張られ、視点視角が移り変わって行く。
焦点透視ではあり得ない光景を水墨画が『散点透視』のお蔭でいとも簡単に表現出来た。
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