水墨画、「墨韻」の魔力   王俊宇瀟

 清らかな水を含んだ筆の穂先に、サッと濃墨をつけ、雪の様な白い画仙紙に筆を降ろす。すると、極黒の濃墨から無に近い淡墨まで豊な階調が現れ、更に画仙紙に吸収されながら生きている様に流れて広がり、所謂「墨韻」が誕生する。画家が独自の経験を基にした墨水の量の調整と運筆のコントロールに加え、水と墨、そして紙による自然な共演による偶然な趣、二度と同じものが出来ないこの滲みはまさに一期一会の世界、天地創造の奥義さえ感じられる深い境地を連想させられる。

 私は、墨の表現では、濃墨よりも淡墨よりも、中間色の墨韻が好きで堪らない。墨色が、墨韻の中間色が有るから階調が自然に変化に富み、表現の豊かさにつながり意匠の深化へ導く。

 極端な言い方をすると、濃墨と淡墨が両端しかない為二色しかないが、中間色の階調が無限に拡張出来る。しかも、単なる濃墨なら対象物の濃い部分或は硬い強い部分を表す、又は淡墨はその反対にモノの淡い柔らかい優しい部分を表すといった具体的なイメージが当てはめられる。その一方、豊かな階調の墨韻(中間色)は対象物のどんなイメージを表すかを特定するのは難しい、云ってみれば単なる素材の特徴による意味無き墨韻という産物が生まれただけである。
 しかしモノの具体的なイメージを説明するにはあまり重要な意味を持たない墨韻は、水墨画という独特な絵画分野に於いて、芸術様式の表現としては大変重要な要素だである。この場合、対象物のモノの表現力という性質ではなく、あくまでも道具や素材の特徴を生かした芸術形式の表現を意味する。言い換えれば、墨韻は具体性を説明するより、抽象的な芸術様式の面白さを強調する側面が強い。
 だから素晴らしい墨韻に魅せられる人々は口を揃えて:「何とも言えない、深い味わい」と賛美する。

 その「何とも言うない」ところは墨韻の抽象的な意味を指摘すると同時に、東洋人の美学と一致することも暗示している。
 そういう意味で「墨韻」は単なる芸術様式の魅力を超越して、美学的な深い魔力に昇華された。
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