水墨画、筆墨の深層を考察する     王俊宇瀟

 「筆墨」、つまり筆の遣い方や墨色をコントロール技は、言うまでもなく、水墨画創作において、最も基本的な部分である。そして、作品の評価に置いても「筆墨」は常に極めて重要な要素とし擧げられている。

 そんな「筆墨」ではあるが、水墨画創作の基本とは言え、完璧に習得するには大変困難という事実は、真摯な水墨画家ならこの経験をしたことがあるに違いない。
 筆すなわち筆の操り方は、長年絶えずの訓練と実験の結果、筆先が指先の肌の様に、俊敏に筆と紙の感触を捉え、意のままに線の肥痩や抑揚を真剣にそして迷わず一気に描き落とす必要がある。
 墨すなわち様々な媒体(紙や絹)においての発色と滲みの癖や特徴を正確に理解しそして生かし、豊富な経験を基に、あくまでも直覚的或は感性的に墨色を展開する。

 また、筆のによる線の表現と墨紙による墨色や滲みの表現は書道藝術や文学(詩)を聯想させられる経験が、制作者と鑑賞者の両方で共有することであろう。
 そんな訳で、「筆墨」という独特な表現様式が水墨画の領域に中国文化的な深みをもたらせ、その難しさを一層増進させた。

 中国水墨画が「筆墨」と「筆墨」の裏にある文化的趣味を固執するあまり、結果的、文人画の流行と相まって、文化人以外の参入を拒み、固い形式主義にハマり、形式模倣の横行が創造性を阻止し、徐々に袋小路迷い込み、筆墨もその生命力を失い、遂に水墨画進化のお荷物と障害に成ってしまった一面も認めなければならない。とは言え、「筆墨」を過大視しない限り、水墨画制作の基本である事は変わりがない。

 しかし、古来より、あれだけ繰り返し「筆墨」を標榜するには、文字通り筆線と墨色を重んじる裏、もう一つ隠れた奥義を読み取れれる事に気づいた。

 そもそも、水墨画は、最初から写実より写意を最高目標とする藝術、つまり精神や感情の表現が形の正確さ以上に大切と考えられて来た。画面上の形や陰影が現実のそのモノと明らかに一線を画している。「筆墨」を標榜する事によって、物事を正確に描写しようとする画家の本能に常々警鐘を鳴らし、写実主義の束縛から解放させ、写意という水墨画本来の目標を近づく事に貢献出来ると考えていたに違いない。言い方を変えれば、筆墨の訓練を通じて、線や墨色を執着する習慣が形に対する執着を軽減する事に成功出来ると考えられる。つまり、写意は第一、その次筆墨が重要でありり、形は更に次になるという順序になる。古来から、『六法』の最初は気韻を擧げている事や、『外師造化、中得心源』といった絵画論も、皆「写意」こそ水墨画の魂である事を口説いていた。

 一方、「写意」、つまり精神表現或は心象絵画としての水墨画は、「筆墨」、つまり筆による線と墨色による滲みや明暗が最高の「写意」を実現可能な最も適合な表現手法であることは、昔から考えられて来た、これこそが「筆墨」を強調する真意ではないかと思いたい。しかし、「筆墨」そのものは、保守的な形式主義から反省しながら、素材道具の改良にあわせて進化させる必要を感じていることも事実である。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック