明清以降中国水墨画が岐路に辿る原因を考える   王俊宇瀟

 明時代以降の中国水墨画は宋元の絵画と明らかな違いを見せる、文人画の流行りが画壇の主役は専業画家から兼業画家の文人達に交代した事を物語る。文人による画壇支配が中国絵画の流れを岐路に向かわせ、水墨画を藝術創造の本筋から逸れさせ、結果的に明清以降の水墨画が下り坂を辿る最大な原因ではないかと考える。

 今までも触れたことがある様に、中国で言う文人は単なる教育を受けた教養持ちの文化人という意味ではなく、あくまでも科挙制度の基で誕生し文人階層を定義すべきだと断っておきたい。科挙制度の浸透と拡大につれ文人達の社会的地位も次第に向上し、高い地位に登り詰めた文人達が一旦絵画の領域に踏み入れると、自己尊大の習性が働いたのか、宮廷画家や民間の専業画家を見下す様な言論が相次ぎ、知らず知らずうちに、いつの間にか文人画が中国絵画の頂点に立ち始め、最も優雅且つ上品な絵画と見られる様になってしまった。


 しかし、基を言えば、文人は科挙制度の基で現れた人達であり、彼らの人生目標はあくまでも国家試験に受かる事にあり、最終的に役人や偉い官僚になって出世する事他ならない。科挙試験の指針として数十年もの間勉強し続けた儒教の説教は人生そのものの行動指針でもある。文人達が一旦朝廷の一員として王朝のため働くようになれば、王朝を守る事は生涯の責務と自覚するのも極当たり前の成り行きであろう。そのため、基本的に文人達は保守的な思想の持ち主であり、彼らが受けた教育がそうさせたからである。例え政治の波に翻弄され、山あり谷ありの人生を経験しても、王朝に忠誠する保守的な思想を変える事は殆どない。文人画の最も有力な提唱者と代表格の董其昌(明時代)はその典型と言える。

 保守的な政治理念同様に、文人達は伝統文化の伝承と保護にも力を注ぎべくと考え、自らが主役になった絵画の領域においても、古典の勉強と伝統技法の伝承が何より重んじ、水墨画の指針と評価基準として模倣伝承を広く提唱する。例え日本で高く評価されている牧谿(宋時代)の作品は『粗悪』と不評され、その理由は『古法無し』,つまり牧谿作品に古い技法が見られないという、とんでもない理屈である。と同時に、文人達は制作の現場に於いても自ら摸写模倣を積極的励み実行し、自分達の作品に古人の筆遣いが見られる事を自慢する風習を開いた。その結果、明以降の水墨画は保守的な作品が多く、総体的に創意が欠如になり、下り坂の絵画史を造ってしまった。

 更に具体的に見ると、文人画の誤りは、絵画の文化的要素を過大評価する所にあるのではないかと小生が考える。

 そもそも、水墨画を含む絵画の分野は、基本的に文化の範疇に属する事は言うまでもない。しかし、だからと言って、文化の特徴と属性がそのまま絵画に通用するかと言うと、そうとは限りない。絵画が創造藝術だと認める以上、絵画独自なルールーと掟がある事も認識しなければならない。

 藝術と文化の違いをざっと整理してみると、以下の様に見て取れる:
 第一に、文化は地域性や民族性、或は集団的属性がある。例えば仏教文化やキリスト教文化、或はアジア文化やアフリカ文化、また文人の世界では文人独自の文化意識がある。一方、芸術はそういった地域や宗教或は民族集団の境界線が無く、優れた芸術作品は人類共通の遺産である。ベートーヴェンの音楽やシェイクスピアの劇或はピカソの絵画はそうである。
 第二に、文化は長い年月の中で様々な要素が加え乍ら蓄積され徐々に形成される特徴があり、個人によって創造することは出来ない。一方作品としての芸術は作家個人或はグルーブによって短期間に制作され、飛躍的に変化する事も有り得る、特に重要なのは、芸術は創造が必要である。創造性のない絵画はあくまでも一枚の絵である、芸術作品に昇華する事は有り得ない。
 第三に、文化は地域性がや民族性があっても、個人としての特徴が見れない、つまり個性が備えてないし必要ともしない。しかし制作者の立場から見る芸術は、個性は無くてはならない存在である。個性のない絵は所詮ただの絵であり、芸術になる事は到底無理であろう。そして芸術の個性は作家の努力と創造によりやっと得られる事は言うまでもない。

 この様に、水墨画創作の現場に置いては、絵画の文化的要素と芸術的な要素の双方を考慮した上、芸術的な要素を如何に生かして強調する事は作品の質に関わる『要』ではないかと思う。

 しかし、創造には源は必要である、その源の一部分は文化である。そういう意味で言うと、水墨画の文化的要素も,決して忘れては行けない。文人達が提唱している様な伝統伝承や古典勉強も必要不可欠な要素である事は言うまでもない。それに、芸術創造とは違う目的の意味で精神生活の向上のため文化を楽しむ場合、伝統伝承と古典勉強に止まっても、無意味ではないことは、今現在様々な文化教室の存在が何よりの証明と言える。そもそも、文人絵画の目的は、創造藝術を求めると言うより、精神生活の一環として文化を楽しむ方が大きいではないかと思われ、解り易く云えば、文人画はあくまでも趣味の域に止まった素人のお遊びに過ぎない。趣味を楽しむ事自体には何ら非難するつもりはない。しかし、絵画の主役に躍り出た文人画は、只の趣味で済ませるはずも無く、その辺の事情は、六百年も前の兼業画家達に自覚を求めるても無理があるかもしれない。しかし、文人画の大流行により文人思想が絵画の領域まで支配し、絵画を文化としてしか扱わない事がそれ以降の水墨画は停滞させたことは紛れもない事実であり、明以降数々の作品はその事を我々に示している。

 ところで、科挙に受かって名実とも文人の仲間入りを果たしたにも拘らず、泥沼の政争に呆れて、政治的な失意が人生の失望に発展し、気を狂わせるまで変わり果てて、精神世界も現実行動も文人集団と決別し、遂に革新的な絵画様式を確立する例もある、明時代の徐渭はそうである。徐渭の大写意作品の挑戦は保守的な文人思想から想像もつかない程のインパクトがある。また皇族身分だった八大山人も、王朝の交代により波乱な人生を強いられ、やはり一時的に気を狂わせ、その生涯も思想も、又保守的な文人のそれと大きくかけ離れ、そして最終的大きな芸術の花を咲かせる事が可能となった。

画像




ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック