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水墨画、スタイル創造の道のり(一)  王俊宇瀟

 芸術としての水墨画は、その創造性の意味が殆どスタイルの創造にあると考えている。    スタイルの創造がどのように生まれるかは人ぞれぞれのきっかけや方法論があるので、一概に総括出来るものではないが、しかし、やはり大まかなの基本ルールーや評価基準が存在するに違いないと思う。  個人的な経験も踏まえて整理してみるといくつかのポイン…
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“画外"と“画内”の工夫     王俊宇瀟

 宋時代の詩人陸游が息子宛にこんな名言を残した:「我初学詩日,但欲工藻絵;……汝果欲学詩,工夫在詩外」日本語に訳にすと、大凡こんな意味:「私は初めて詩を学んだ際、但ただ華麗な言葉を遣いたがる……汝(なんじ)が若し詩を学びたいなら、本当は詩(言葉)以外のところで努力(技量を研く)すべく」。   後に、「工夫在詩外」は名言になり様々な…
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“詩書画印”の意味     王俊宇瀟

 先日、詩画関係の話をした。  水墨画(特に文人画)の場合、詩と画という全く領分違いの芸術を一枚の紙面に集め、異なる側面として一つの作品を支えるになり、より緊密な連携を見せてくれる。更に、詩の文字を書く行い自体は、そのまま書道芸術に繋がり、また、締めくくりとして雅印を押す事は、篆刻の領域に入る。  この様な作品は、広い概念の“水墨画…
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水墨画と抽象表現の良い関係   王俊宇瀟

 抽象絵画を聞くと、大概の方が先ず西洋の近代絵画のことを連想するであろう。小生もカンディンスキーやクレー、或はザウキー等大好き人間である。  一方、水墨画は東洋の高山流水や花鳥風月を主とする伝統絵画であり、抽象表現とは無縁の存在と思いがちである。  しかし、よくよく考えてみると、水墨画の発想は、そもそも目に見える色彩が対象物の本…
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今月のお稽古     王俊宇瀟

 いよいよ、今年初めてのお稽古は始まる。  ぎりぎりまで、手本や資料を揃えた。    “なんだ、締め切りの間近になれば、ちゃんと出来るじゃないか”、と言う怠け者の惰性のお蔭で、何時も慌ただしくさせられる。  今年こそ、余裕を持って事を行いたいだが、果たして……  ちなみに、山水の二点は太行山をモデルにしている、と云っても、全然…
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水墨画の“水”について     王俊宇瀟

 水墨画では、墨を薄める際、水を使う。わざわざ言うまでもなく、誰でも知っている常識である。  しかし考え方を少し変えて見れば、もし水でなければ、例えば胡粉や白い絵の具などで墨を薄める場合、墨の色が不透明なグレーになる事も容易に想像がつく筈である。    墨は黒色だから不透明だと感違い易いだが、しかし水墨画は“水”で薄めて描く以…
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水墨画、白黒之理由     王俊宇瀟

 水墨画に対して、広い解釈と狭い解釈がある。    広い解釈は、墨さえ使っていれば、色が付いていようか、壁に描いていようか、或は筆も使わず直に手で描いていようとも、水墨画と認める。ニューキャンさんが主催する『現代水墨作家展』はその解釈を以て開催され、より広い見地から水墨画の現状と未来を見据えている。大変結構な事である。  狭い解釈…
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水墨画と“光”の表現     王俊宇瀟

 水墨画は“光”の表現が苦手という見方がある。  中国絵画史の名作を観ていると、確かに、西洋絵画の様な光を強調する作品が皆無に近いと云えよう。その点を反省しているかの様に、現代水墨画家の中、光の表現に精を出し、実験と努力を重ねる方も少なくないだろう。    しかし、水墨画が“光”を強調しないのは“苦手”の一言だけで片付けて良いだろ…
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水墨画と写生に関する話     王俊宇瀟

 ”日本一”と自慢するデッサン会がある、千葉県にあるTK素描会である。  会員の皆さんは真面目で気さくな方ばっかりで、実に気持ちの良い集まりである。小生が20年以上もお世話になっている。  昨日、その会の忘年会の席で、若き新鋭のY君の水墨と写生に関する問いが印象に残る。  そういえば、水墨画は、西洋画のような写生はあまりしない…
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水墨画の遊び心      王俊宇瀟

 水墨画は書の余技という見方がある。  余った墨で遊んだ結果は水墨画作品である。だから、落款にはしばしば『戯墨』や『戯筆』など遊び心タッブリの書き方を見かける。小生なんかは遊びの『戯墨』を乗り越えて、『酔墨』なんか自称したりさえする。  中国の水墨画は文化を伝えねばならぬというではないか?  遊んで、良いのか?  それは…
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“匠”に対する日中の見方    王俊宇瀟

 中国絵画史は、他所と違って、独特なラインがある。  ズバリ言えば、文人画の存在だ。  しかも、宋元以降、ブロの画家である宮廷画家を押さえて、絵画史の主流を占める様になった。  西洋などには例のない面白い現象だ。  何故だろう……  そもそも、絵画を仕事としてやっている集団、つまりブロとしての職業画家達は、文人画家より…
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芸術境地と文化的意味合い     王俊宇瀟

 前回は日中水墨画の違いが芸術的境地を高めると文化的意味合いを深めるにあると述べた。  ところで、両者の関係は?それぞれの性格は?  芸術境地のレベルは文化の深さの一部であり、文化の意味合いはもっと様々な要素によって構成される、例えば哲学や文学、歴史や民俗、、、などなど。芸術は文化であり、文化は芸術とは限らない、つまり大と小の関係、…
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