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zoom RSS 呉昌碩と伊藤若冲     王俊宇瀟

<<   作成日時 : 2015/07/01 00:05   >>

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 中国の水墨画画家と日本の水墨画画家を比較してみると、面白い発見が有る。
 例えば呉昌碩と伊藤若冲、実に好対照になる。

 呉昌碩と言えば、先ずは篆刻や漢詩,書道を学び、その間地方役人になった経験も有り、知命になって任伯面に絵を習ったという、まさしく典型的な文人画家としての経歴を持つ。
 呉昌碩の絵画作品を観ると、絵画の領域を飛び越え、書と篆刻、そして落款の詩文まで広がる。いわゆる「詩、書、画、印」の全てが揃える「四絶」の境地を目指す事が解る。逆の考え方をしてみれば、呉昌碩の場合、絵画だけでは表現しきれないものあり、詩文や書、そしれ印によって、やっと呉昌碩らしさが完成すると言って良いと思う。
 つまり、呉昌碩に取って、絵画は単なる絵画ではなく、あくまでも書道や篆刻及び詩文といった中国文化の一部であり、その文化をより正確に伝える為にも、「詩書画印」を一つの画面に登場させた方が都合が良い他ならない。
 一つの画面に、絵も有り書も有り、そして詩文と篆刻もあり、実に豊かである。
 その反面、呉昌碩の絵は、殆ど花鳥画に限り、画風も写意ばかりである。
 つまり、詩書画印を揃える豊かな画面に対して、題材や技法は意外と貧しいと言わざるを得ない気がする。

 こんな現象は、実は呉昌碩のみならず、中国では、(張大千先生の特例以外、)写意と工筆の両方を得意とする画家が殆どいない。その理由は、多分、多くの中国画家は「絵画」を「文化」という壮大なスケールとして捉える事情があるのではないかと示唆している。


 一方、伊藤若冲は,花鳥や動物や人物、それに山水まで,沢山の題材を作品にしている。そのうえ、写意や工筆を問わず多岐に渉る技法を上手く使い分け、思うがままに自由に操ってそれぞれの作品にぴったりの方法を用いる。更にモザイクの様な表現方などなど、全く新しい技法まで挑戦する姿勢には敬服するばっかりである。
 絵画のみを追求する若冲の作品には、署名や落款印程度が有るものの、中国絵画に見られる様な達筆の書による長い詩文や数多く篆刻雅印が殆ど見れない。若冲は絵画を絵画としてしか見てないので、絵画以外のモノが入る事が無意味の上、却って邪魔になると思っていたではないかと想像したくなる。

 若冲が特に多岐に渉る技法を応用する画家ではあるが、日本では、写意と工筆の両方を自由に使いこなして多様な題材を作品にする画家が数多くいる、例えば円山応挙もそうであり、又曾我蕭白もそうであろう、、、
 
 やはり日本の画家は、絵画をあくまでもいち藝術分野として考え、水墨画作品も、あくまでも水墨画の範疇のうちで完璧且つ豊かに表現する事を理想としているではないかと思う。

 
 伊藤若冲と呉昌碩の違いは、そのまま日中画家全体の違いと言える。
 文化という広い範囲で水墨画を考える中国と、藝術として水墨画そのものを極める
画像
日本、それぞれ面白い。

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