東洋文化としての水墨画     王俊宇瀟

 以前、日中水墨画の違いについて、中国くの水墨画、特に文人画には文化的要素が多く、それと対照的日本の水墨画には芸術的、つまり絵画的要素が多い、と主張していたと思う。
 その思いは今でも変わらないが、しかし、中国水墨画は文化、日本水墨画は芸術という短絡な解釈ではない事を、言うまでもない。

 文化と芸術の異同を考えるには様々な視点や側から可能である。
 今まで何度か言ったように、創造性や個性の有無はその一つである。水墨画を描く場合、創造的要素を従う行為は芸術行為と評価したい。一方、作品に創造的な要素を従わない行為はあくまでも文化的行為と見さすべきであろう。例えば中国で盛んに行われる「席画」、つまり大勢の前で揮毫する行為、画家が今まで慣れたテーマや技法で描く事は殆どである、こういったパフォーマンス性格が強い行為は、芸術創造とはほど遠いと言わざるを得ないので、当然芸術行為と言えず、水墨画の面白さや基本知識を広め、大勢の教養を高める意味で、文化行為と見るべきではなかろう。

 その延長線で考えると、一般的な鑑賞者や研究者の目線で観る水墨画作品と画家の立場で考える水墨画作品も、大きな違いが有るではないかと思う。観る側から言えば、今日創作された水墨画作品も長年の歴史から蓄積された水墨画の歴史の土台の上に成り立っているものであり、継がれた文化の一部であるため、水墨画を文化として見る事は当たり前と言えば当たり前。まして作品を鑑賞したり研究したりする行為は、作品を創るという創造行為に従わないので、藝術活動と言うより文化活動と言う方が相応しいであろう。一方、画家から考える水墨画は、あくまでも創造しなければ行けないため、モノを創り出す行為は、やはり芸術活動と認めるべきではないかと思う。

  そういう意味で、同じ作品にしても、鑑賞者から見れば芸術作品であり乍ら、文化の一部と認識しても当たり前である。文化財という定義で優れた芸術作品を認定するのも納得出来る。しかし、画家が作品を創作する段階はあくまでも創造行為がなければならない為、制作者の立場から見れば、その作品は文化ではなくあくまでも芸術である事は言うまでもない。
 
 又、画家から見る水墨画は創造的な芸術活動であり乍らも、決して伝承されつつ文化を否定するものではないと強調しなければならない。

 この考え方と関連するように、「共通点の有無」という視点で文化と芸術を思考する事も出来る。
 
 以前も論じたように、文化は地域や民族等コミュニティに「共通する」風俗習慣や思考方法或は価値観や審美理想等で形成され,継がされる。つまり文化は特定な共同体の中で「共通する」何かはその特徴である。例えば先述の「文化財」の考え方も、そのコミュニティの美の理想と共通するのモノを文化財、つまり共同体全員の精神的な財産と認定する訳である。「国宝」も同じように、その国皆の宝と言う意味であり、そこにも共通する美の理想が出なければならない。
 しかし面白い事に、国宝も文化財も、その作品を創った作家は、その「共通する」価値観と審美理想を継承すると同時に、あくまでも他人と「共通しない」部分を見つけ出し創り出さなければ、「文化財」や「国宝」に成れないことも言うまでもない。今までにない、誰とも「共通しない」独自のスタイルを創り出す事は創造活動の根源だと言える。そして優れた個性美は必ず共通の理想美に融合し一体化に成る。時には素晴らしい個性美が共通の理想美をより良い方法へ導こ事も有りうる。
 

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